古くから菓子文化の発達してきたシュガーロード(長崎街道)、この道は筑豊炭田を通ります。
90年代初め、炭鉱で栄えていた筑豊地方。
炭鉱夫たちが手軽にできる疲労回復、エネルギーの源として甘いものを求めたため、お菓子文化も栄えます。
特に、筑豊炭田の中心、飯塚市には素敵なお菓子がたくさん生まれました。
ひよ子/ひよこ本舗
ひよ子 108円 (2018/6)
どっから見ても可愛い福岡銘菓。
このぽってり感、たまらんよ😍
シュガーロード沿いであり、炭鉱の町である飯塚市。
本社は福岡市にあるけど、ひよ子が生まれたのは飯塚。
直売所もある穂波工場へ。
その日の朝、生まれたひよ子を頂きました。
吉野堂の創業は、1897(明治30)年。
ひよ子誕生は、1912(大正元)年。
東京に進出したのは、1964年東京五輪がきっかけ
ひよ子本舗吉野堂 穂波工場売店
福岡県飯塚市楽市538-1 穂波工場
千鳥饅頭・チロリアン/千鳥屋
千鳥饅頭
千鳥饅頭 130円 (2018/6)
南蛮菓子である丸ボーロに白餡が入ったカステラ饅頭。
1927年(昭和2年)誕生。
江戸時代、長崎街道を通じて南蛮菓子がもたらされ、明治以降、日本一の炭鉱地帯となった筑豊。
炭鉱景気背景に数多く生まれた銘菓と南蛮菓子の関係に、なんかもうこうロマンすら感じます。
チロリアン
オーストラリア・チロル州の伝統菓子のロールクッキーに、クリームを詰めてアレンジしたもの。
1962(昭和37)年誕生。
ついついパケ買いしちゃう可愛さ。
ひよ子も福岡と東京に作っている会社があってややこしいけど、千鳥饅頭はさらにうえをいくややこしさ。
千鳥屋は、1630(寛永7)年佐賀に創業した松月堂の支店として、1939(昭和14)年飯塚市に創業した。
創業者の死後、子供たちが全国進出して別法人を立ち上げたもので、ルーツは同じなんです。
千鳥屋本家(飯塚/1630年創業) ⇐ここが本家
千鳥屋総本家(東京/1964年創業) →倒産
千鳥屋宗家(大阪/1973年創業)
千鳥饅頭総本舗(博多/1997年創業)
千鳥屋本家 飯塚本店
福岡県飯塚市本町4-21
南蛮往来・すくのかめ/さかえ屋
すくのかめ
中にちっこい求肥餅の入った手焼きの最中。
1957(昭和32)年誕生。
なんばん往来
ふっくらバターたっぷりアーモンド生地の焼き菓子。
底には薄いパイ生地、中にはジャム。
定番人気はラズベリー&ブルーベリー。
美味しいし、パッケージも可愛いし、南蛮菓子をモチーフにしているところがシュガーロード沿いのお菓子らしい。
1984(昭和59)年誕生。
さかえ屋 本店
福岡県飯塚市堀池128-1
1953(昭和28)年創業
黒ダイヤ・白ダイヤ/亀屋延永
黒は黒砂糖と小豆、白は白砂糖と隠元豆でつくったゴツゴツとした羊羹。
筑豊地方が炭鉱で栄えていた頃、石炭は黒ダイヤ、石灰石は白ダイヤと呼ばれていました。
1950(昭和25)年誕生。
もとは田川市の大月堂が作っていましたが、現在は飯塚市の亀屋延永で作られています。
亀屋延永 飯塚店
福岡県飯塚市忠隈77-34
筑豊炭田
1872年(明治5年)
鉱山解放令が公布され産業革命期に入ると、炭鉱開発が急速にすすめられる
1901年(明治34年) 八幡製鉄所が創業
筑豊炭田は、福岡県北九州市、中間市、直方市、飯塚市、田川市、山田市、遠賀郡、鞍手郡、嘉穂郡、田川郡の6市4郡にまたがる日本一の炭鉱地帯となる。
1950年代後半から石油が台頭
1976年(昭和51年) 筑豊炭田のすべてが閉山
飯塚市以外にも、
直方では成金饅頭が、重労働で疲れた鉱員に甘い菓子が好まれていたので大売れ。
くろがね羊かんは、八幡製鉄所で作業員が胸のポケットにさして、作業の合間にかじられていた。
山田まんじゅうのカタチははボタ山をイメージ。
炭鉱の町のお菓子は、今でも親しまれています。
筑豊炭田が気になって『信さん・炭坑町のセレナーデ』という映画を見ました。
昭和30年代の福岡県の炭坑町が舞台です。
筑豊地方のお菓子に興味がわかなければ出会えなかった作品。
『青春の門』という作品も気になります。
炭鉱があった頃の風景が目に浮かべば、菓子もまた愛おし。
今度行った時には、菓子屋巡りとともに炭鉱遺構巡りでもしてみましょうか。