【島根】「不昧公好み」松江のお菓子

日本三大菓子処と言われているのが、「京都」「金沢」「松江」。

3つの町に共通しているのは、殿様のお膝元、茶の湯文化が発達した城下町である。

また、日本三大銘菓といわれているのが、「越乃雪/越乃雪本舗大和屋(新潟)」「長生殿/森八(石川)」「山川/風流堂(島根)」。

新潟の、越乃雪本舗大和屋がある長岡市もまた城下町である。

お殿様がたちが食べていた貴重な菓子が、やがて庶民の間で親しまれる郷土菓子になったり、その土地を代表する銘菓になったり、城下町とお菓子の関係は無視したくてもできないのである。(日本史苦手、城興味ない・・・)

 

ちなみに、松江三大銘菓といわれているのは、「山川」「若草」「菜種の里」。

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不昧公のお菓子

松江のお菓子を語るにあたって避けて通れないのが、不味公(ふまいこう)。

松平家7代藩主の松平治郷(1751~1818年)で、江戸時代の代表的茶人の一人。
茶の湯の文化を松江に浸透させ、また、収集した茶器の銘品・銘菓は「不昧公御好み」として現在にも伝えらる。

日本三大銘菓のひとつ「山川」も「不昧公御好み」の菓子である。
以下、「不昧公御好み」の菓子を集めてみる。

複数の菓子屋がそれぞれの菓子を作っている。
下記にある店名は、私が購入したお店、写真の説明という程度の参考に。(2018年10月)

山川

山川/風流堂

和三盆を使った、しっとりとした落雁。ちぎって食べるのが特徴。
赤と白の二色の対が基本です。赤で紅葉の山を、白で川の水を表す。

大正時代に風流堂が復刻させた

店名 風流堂
創業 1890年(明治23年)

 

若草

、若草・復刻若草/彩雲堂

求肥に薄い緑の寒梅粉をつけたもの。

若草 松平不昧公の歌から命名されたという。

明治時代中期に彩雲堂によって復元。

店名 彩雲堂
創業 1874年(明治7年)
イートインスペースあり

 

菜種の里

菜種の里/三英堂

寒梅粉と砂糖を使いしっとりと仕上げた菜の花色の落雁。
焙じた玄米を散らす。
春の菜の花畑を蝶が舞うさまを表現している。

菜種の里は三英堂のみ販売。

店名 三英堂
創業 1929年(昭和4年)
松江三大銘菓「菜種の里」「若草」「山川」セットを販売

 

 

姫小袖/一力堂

皮むき餡を、和三盆糖で打ち上げた打菓子。

お殿様からお茶会用に特別に命じられたお留め菓子。
当時は他に売ってはいけなかった。

菓子名 姫小袖
店名 一力堂
創業 1751~1764年(宝暦年間)
初代の三津屋作兵衛が、松江藩の御用達を務めていた

駐車場があるかわからなかったので、お店には行かずに、松江名産センターで購入。

 

腰高朧饅頭/桂月堂

不昧公の生誕二百五十周年を記念して開催された 茶会の折に、現・不昧流研究会 佐藤光恵氏と共に復元。

小麦を薯蕷芋の生地の中に白あん。

小倉松草/桂月堂

不昧公生誕250周年を記念して復元。

薫り高い蓬の求肥を優しい甘さの小倉の羊羹で挟んだもの。

 

桂月堂

店名 桂月堂
創業 1809年(文化6年)
一番人気は、「薄小倉」

桂月堂では、他の復刻お菓子があると知らずに、人気の「薄小倉」と「出雲三昧」を購入してしまった。
落雁、粒入り羊羹、求肥を重ねた「出雲三昧」が、非常に好み。
また、食べたい。

薄小倉

出雲三昧

 

 

不昧公、縁の地

不昧公によって築かれた茶室で、不昧公御好み菓子を頂くのも一興。

不昧公によって築かれた茶室で現存するものは、明々庵と菅田庵の二つ。

明々庵

1779年(安永8年)築・不昧公によって築かれた茶室。
中に入ることはできないが、外から見ることができる。

別の建物で、松江三大銘菓のうちの2つ、菜種の里と若草をお抹茶と一緒にいただける。

菅田菴

1790年(寛政2年)築・不昧公によって築かれた茶室
国の重要文化財

月照寺

松平家の菩提寺。
不昧公の廟がある。

書院でお庭を眺めながらお抹茶と風流堂の銘菓「路芝」を頂ける。

路芝とは道ばたの草のことで、春先に草の上に積もった雪が溶けていく様子を表したもの。ゴマの香りが香ばしい庶民的なお菓子。

 

普門院(観月庵)

松江城鎮護の寺。
三斎流の茶室・観月庵があり、不昧公が松江城から堀川に乗って訪れ、茶事を楽しんだと言われる。
抹茶と一緒に季節の和菓子がいただける。

田部美術館

不昧ゆかりの茶道具のコレクションが充実。

松江歴史館

喫茶きはるでは、和菓子の名工がその場で実演・販売している。